20歳の頃に『卵巣境界悪性腫瘍』の診断を受けました。自分が闘病している当時、同年代の人の闘病記が探してもなかったので、これを機会に記そうと思います。
先に結論を書いておくと、手術後に転移・再発なく経過5年を迎えました(つまり寛解しました)。
状況や症状などによって、参考になる・ならない、読みたい・読みたくない方がいると思うのでざっと内容をまとめておきます。参考になれば幸いです。
- 20代女性で境界型悪性腫瘍
- 地方在住
- 親の助けを借りながらの闘病
- 大学病院にて手術
- 術後に転移・再発がなかった
卵巣境界悪性腫瘍についてくわしくはこちらから
参考 卵巣腫瘍とは?東大病院女性診療科・産科最初に感じた違和感
ある日お腹が膨れている様な違和感を感じました。最初は「太ってきたかな?」と思ったのですが、脂肪とは違う硬さに「これは肥満ではない。なにか病気かもしれない」と不安に感じたのを覚えています。しばらく放っておいて様子を見ていたのですが、日が立つ毎に腰痛も感じ始め、ただ事ではないと思い病院へ行きました。余談ですが、家族によるとこの頃、私の顔や腕がみるみる痩せていって「どうしたんだろう」と思っていたそうです。
まずは地元の病院へ
取り合えず地元の病院へ。即日入院が決まりました。そして「おそらく良性腫瘍ではない」ということを伝えられました。しかし検査体制も手術体制も整っていないため、別の病院を紹介してもらうことに(紹介してもらったのは日赤病院でした)。医師や看護師さんの対応は良かったのですが、地元ということで同級生の親が働いており、プライバシーの面でストレスを感じることが多かったです。
PET検査へ
地元の病院から、PET検査を受けるように指示がありました。しかし近場にPET検査ができる病院がなく、他県の施設へ。病院ではなくPET検査専用の施設でした。MRIのような装置に入り検査を受けます。検査後水をたくさん飲むように指示されました、
最初の病院で紹介された日赤病院へ
入院ではなく診察のみでしたが、ここでも良性腫瘍ではないことを告げられました。そしてかなり状態が悪かったらしく、結局別の病院(県外の大学付属病院)を紹介されることに。ショックすぎて、病院内の食堂でご飯を食べたのですが、味がしなかったです…。
最後に大学の附属病院へ
紹介された大学の付属病院へ。長くなるので、いくつかの項目に分けて紹介します。
入院まで
入院前の通院にて手術に関しての説明があり、手術して終了ではなく、手術して患部を組織検査しないと「悪性腫瘍」か「境界悪性腫瘍」かは分からないとのこと。しかし医師の見解では「僕は悪性じゃないと思う」と。病気が発覚して以降「うちの病院ではどうしようもできない」とのシビアな意見ばかりだったので、この時初めてポジティブな意見を聞くことができました。そして手術は、病変した組織を傷つけないように大きく開腹する必要があるとも。
手術の日程を決め、前日から入院することに。入院から退院までは一週間ほどでした。
手術の流れ
手術はある日の午後に行われることになりました。前日に下剤を飲み、当日は食事なしです。
手術当日、朝から本当に緊張しました。病室から手術室までは看護師さんに付き添われて歩いて向かいます。手術室に到着すると自分で手術台に乗り、麻酔をかけられます。麻酔をかけられると体がポカポカしてきて、意識を失います。気づいたら手術が終わっている感じ。ストレッチャーに乗せられ病室へ。この時点で麻酔から完全に冷めており、手術後に様子を見に来た医師(メインの執刀医)に「もう麻酔から覚めてんの?若いねー」と驚かれました。その日は完全に絶食。夜には麻酔がきれてきて、脂汗がダラダラでるほど痛かったです。ひたすら耐えることしか出来ません。医師の説明によると、日ごとに痛みが半分になるのだとか。一か月間はくしゃみや咳をするたびに痛かったです。手術翌日から、血栓と癒着防止のため歩行器の様なものを使って院内を歩きました。食事は術後翌日~2日目におすましとゆるいお粥が出て、その後普通のご飯を食べられるようになりました。それ以外は退院までひたすら寝て回復する感じです。
病院の雰囲気、医師や看護師さんの対応など
待合室がいつも混んでました。殺伐としていて、気軽なかかりつけ病院として機能しているというよりも、私のように手術も含む重篤な人が多い雰囲気を感じました。
医師や看護師の方の対応は素晴らしかったです。大学の附属病院ということもあって、同年代の若いスタッフさんも多く、ある看護師さんや女医さんは「私もこの前開腹手術をしましたよ。だから心配しないで下さい」と励まして下さいました。そして印象的なことがありました。ある日どうしても寝付くことが出来ず、夜中ボーっとしていたことがあったのですが、次の日にある看護師さんが「昨日寝れないようだったから、心配で」とわざわざ様子を見に来てくれたことがありました。これが嬉しくて嬉しくて…。この附属病院への入院体験は人生で一番印象的な思い出になりました。こんなに人から親切にされたことなかったです。今でも心が折れそうになったときに、このときのことを思い出します。
退院後、組織検査の結果を聞きに再び通院
退院から1週間後に組織検査の結果が伝えられることになりました。「悪性腫瘍」か「境界悪性」か…。悪性腫瘍の場合は子宮全摘でホルモン投与も開始されると聞いていたので、結果次第で人生が変わってしまうと本気で心配していました。
そして結果が伝えられる日。とてつもなく緊張しながら病院へ向かったのを覚えています。病院へは親が運転してくれたのですが、親も緊張していたのか会話はなかったです。そして産婦人科病棟へ到着。このとき診察室ではなく、なぜか診察室の外の机が置いてあるスペースに案内されて、「これって思ったほど深刻ではないのでは?」と思ったらやはり「境界型悪性腫瘍です」との結果が伝えられました。まだ転移・再発の心配はありましたが、ホッと胸をなでおろしたのを覚えています。
定期健診
組織検査の結果を伝えてもらった後、しばらくは1か月ごとに検査のための通院が決定しました。確か術後2年目から3か月毎の通院へと変化した記憶があります。
引っ越しとそれに伴う定期健診
術後3年目に私が就職のため引っ越しをすることになりました。引っ越し先での通院のため、紹介状を書いてもらいました。また、就活では卵巣境界型悪性腫瘍の闘病中で、定期的に通院が必要なことは隠さずに伝えました。就職先の会社でも、快く通院をOKしてもらえました。余談ですが、経過5年観察が終わった際、会社の方に以降の通院が必要ないことを伝えたらとても喜んでもらえて、嬉しかった覚えがあります。
感想、なぜ若年でがんになったのか
20歳という若さでなぜがんになったのか。正確な理由は分からず、推測することしかできませんが10代の頃はストレスと疲労にまみれた生活を送っていたので、おそらくそれが原因ではと思います。自己免疫疾患の方のエッセイを読んだことがあるのですが、「ストレス」「休めない」という状況で発症する方が多いそうです。やはりストレスと疲労は簡単に免疫機能を崩しますね。
長くなりましたが、私の闘病記はこんな感じです。みなさんも体調に違和感を感じたときはすぐに通院することをおすすめします。不安かもしれません。けど、大丈夫です。こうやって生きている者もおります。大丈夫、もしいざ入院となったらあっという間に時間が過ぎ去っていきます。今不安を感じている人が少しでも心穏やかに過ごせますように。


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